ガリレオおじさんの愉快な日記

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ナノインフルエンサーという言葉の違和感

こんにちは。

最近インターネット界隈で、やれコンサルだの、サロンだの、インフルエンサーだの横文字系の言葉がもてはやされています。僕自身はその言葉自体を批判したいわけではありませんが、一方で何となくこういった言葉を使うと「箔がつく」感じがしませんか?

今回は、そういった言葉を何となくで使うことの危険性についてお話ししたいと思います。

ナノインフルエンサーという言葉の違和感

僕が違和感を感じたのは、下記の言葉です。

マイクロ・インフルエンサー:10万以下のフォロワー数を持つ、比較的ニッチで専門的な分野に強いインフルエンサー。メガやマクロよりも均一的なオーディエンスを持ち、特定の分野で強い発言力を有する。いわゆる「専門家」「オタク」に近い位置にいる。
ナノ・インフルエンサー:フォロワー数1,000~5,000の、最小規模のインフルエンサーで、自身のコミュニティ内で強い影響力を持つ。親族、クラスや地域社会でのリーダー的存在に匹敵する。

※下記サイト様より引用
https://www.google.co.jp/amp/s/amp.review/2019/02/07/nano-influencers/amp/

僕はこのサイトを批判したいわけではなく、このようにいたずらにそれっぽい言葉が使われていることに対して違和感を感じています。

確かに、ただの方便として使いたい気持ちも分かりますが、単に定性的な規模感を表したいのであれば、"スモール"や"ミドル"や"ラージ"で充分なはずです。一方で"ナノ"や"マイクロ"はそれぞれ"10^-9"と"10^-6"という定量な意味を持ちます。

なので、"ナノ"インフルエンサーが1000〜5000人、"マイクロ"インフルエンサーが5000〜100000人と本来の意味合いから違う言葉の使われ方をしていることに疑問を感じています。

これを見て、僕は思わずこのようなツイートをしました。

2+2=5

細けぇこたぁいいんだよ!と考えたい気持ちは分かりますが、安易に本来と違う意味で言葉を使い続けることは危険を伴うものだと僕は考えています。

僕はこういった言葉が安易に世に出回ることに危機感を覚えています。何故ならこの言葉から始めて"ナノ"であったり"マイクロ"を知った人が、1000ならナノ、100000ならマイクロ!と間違った定義でその意味を理解してしまう可能性を孕んでいるからです。
※ナノとマイクロの本来の差が1000倍であるのに対し、このケースでは100倍。

間違った事実だったとしても皆がそれを真実として捉えれば、それは真実になるということです。これは「情けは人のためならず」であったり、「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」が間違った解釈をされるといった現象に似ています。

皆が正しい解釈をしているのならばよいのですが、間違った解釈を指摘する人が誰も居なくなってしまうと、誰も間違っていることに気付けないのです。これは、とても恐ろしいことです。

でも、それは言葉の意味が時代とももに変化してるだけだからいいじゃないか!と仰られるかもしれません。しかし定量的な言葉は注意が必要です。何故ならば、サイエンスの世界では言葉の定義がとても重要だからです。間違った解釈は、研究の不正であったり、研究者としての信用を失うきっかけとなります。
また、ビジネスの世界でも問題が起こります。我々のような技術者は、"ナノ"であったり、"マイクロ"という接頭語に細心の注意を払っています。図面の寸法であったり、公差のミスが大事故に繋がるからです。間違った解釈は許されません。

ジョージオーウェルの「1984年」という小説では、2 + 2 = 5という論理が真実として語られています。2 + 2 = 4が真実として語る者がいなくなれば、"真実"は"異端"へと変質するのです。
僕はそのような悪夢の世界に生きたくありません。

今回のケースは"ナノインフルエンサー"という言葉の違和感がきっかけでしたが、いち技術者として、このような警鐘を鳴らしておきたいと感じた一件でした。