ガリレオおじさんの愉快な日記

ラーメンショップ好きのおっさんがただ書き殴るだけ

コスパばかり重視してるとジリ貧になる

最近ネットを見渡してみると、やたらと"勉強はコスパ悪い"だの"教育を損切り"だのの言葉が並ぶのを見かけます。このことについて思うところがあったので、今日はこの"コスパ"をテーマに考えていきたいと思います。

目次

そもそもコスパって何?

"コスパ"は"コストパフォーマンスが"の略ですが、そもそも"コスパがいいもの"ってなんでしょうか?僕の中の定義はこうです。

コスパがいいもの=捧げたもの・時間に対してよりいい結果が返ってくるもの。

文字にしてみると当たり前の話なのですが、本質はこうでしょう。

本題に入りましょう。今回僕は、コスパばかり重視してるとジリ貧になるよということを申し上げたいです。確かにコスパのいいものを常に選択していけば、一定の成果は出ます。一見合理的で要領のいい生き方のように思えますね。それでも僕はそのやり方ではそのうち上手くいかなくなるよということを言いたいのです。

コスパがいいもの=誰でも真似しやすい

まず、コスパがいいものというものは誰でも真似しやすいという傾向があります。誰もができるようなものでなければそれほど話題になりませんしね。この、誰でもできるというのが結構重要で、例えばマニュアルや手順書なんかはまさにその典型ですね。マニュアルや手順書があれば、自分がやっていた作業を誰かにお願いしやすくなりますし、誰でも成果を出すことが可能になります。そして自分のやっていたことを誰かにお願いすることができれば、別の作業に取り組む事ができるようになるので、最終的に利益を最大化できるようになります。まさにコスパ最強です。

ただこうして見ると、コスパがいいものって真似されやすい=ライバルが多いんですよね。始めのうちはプレイヤーが少ないのでいいのですが、そのうちわっとプレイヤーが増えるようになります。そればかりかより洗練された手法を繰り出してくるようになり、こうなってしまうと最早立ち行かなくなってしまいます。コスパがいいものというのはこのように、泥沼の激戦区になる可能性を孕んでいるのです。

失敗体験はあまり真面目に聞いてくれない

じゃあコスパの悪いものって、何?ということを考えてみましょう。一番シンプルなのは失敗するやり方でしょう。損しているのですから、コスパで言ったら最悪でしょう。だから人は成功するやり方をありがたがるのです。

仕事をしていると特に感じるのですが、成功体験はすごくウケがいいです。話すだけで「これをやれば俺でも・私でもできる!」と思わせることができます。しかもそこにちょっとしたエピソードを加えるだけで、なんだかワクワクするような空気感を醸し出すこともできます。それだけ成功体験にはエネルギーがあると思っています。

一方で、失敗体験は笑いのタネにはなっても真面目に聞いてくれる人はあまりいません。何故か?先ほども申し上げた通り、失敗体験はまさしく"コスパが悪い"からです。失敗するやり方をわざわざ実践してみるという人は中々の酔狂ですからね。そんなものをわざわざ聞くくらいなら上手くいくやり方を実践するのが賢いやり方です。

しかし、しかしですよ?上手くいくやり方だけ実践してればいいのか?僕はこういった姿勢には少し疑問を感じます。何故ならばそういった成功体験、法則は膨大な失敗の上に成り立っていることが多いからです。

失敗をゴミとみなすか試金石とするか

僕が研究室にいた時のお話をしましょう。当時僕は2人の後輩がいました。どちらも取り組んでいるテーマとしては似たようなものだったので、フォローをすればどちらの子もある程度の結果は出せるだろうと踏んでいました。

しかしその期待は裏切られます。片方の子はどんどん結果を出すのであまり手が掛からなかったのですが、もう片方の子は全く結果が出ないが故にかなりのフォローが必要な状態になってしまいました。僕はかなり悩みました。同じように教えているはずなのに、何故こうも差がでてしまうのか?そうして2人を見つめるうちにあることに気付きました。

上手くいかないのってただガチャ回してるだけじゃね?

これは僕がソシャゲのガチャを回しながら閃いたことです。そうです、激レアが出ないが故に延々とガチャを回し続け、お金をジャブジャブ溶かし続ける状況に似ているのです。所謂沼にハマっているのです。そして上手くいかない人は同じやり方に固執する傾向があることにも気付きました。

何故同じやり方を続けるだけでは上手くいかないのか?それは、そういった人は別の方法はないのか?と立ち止まることをしないからです。失敗はただのゴミ。反省を全くしないのです。これでは最早、思考停止の運否天賦のようなものです。ただの神頼み。しかし残念ながら神様はそんな人に救いの手を差し伸べてくれることはありません。神様は己の行いを反芻し、前に進もうとする意思のある者にしか微笑まないからです。

失敗をただのゴミとみなすか、次に進むための試金石とするかは個人次第です。しかし、少なくとも僕が見てきた限りでは失敗を軽視している人ほど成功していないように思っています。失敗は成功の母とよく言われますが、僕はまさしくこの通りだと考えています。失敗は失敗なのではなく、成功しないルートを見つけた!という気付きなのです。そして、その気付きに気付けるかどうか?ということがとても重要なことなのだと思います。

失敗は自分だけのもの

さて、話をコスパに戻しましょう。僕は失敗を試金石にすることが成功への道に繋がることをお話しました。そして失敗はコスパが悪い選択だということも…それでもその失敗が重要だと考えているのは、失敗体験は自分にしか理解できないものだからです。他山の石、他山の石とよく言われますが、所詮他人の失敗というものは他人事でしかないのです。実際に痛みを伴わないものはリアリティがないので、本当にその人の失敗体験を理解することはできません。だからこそ、自分が失敗した体験というものが重要なのです。

これは特に誰もやったことのない領域に踏み込めば踏み込むほど実感するはずです。誰もやったことのないビジネス、誰もやったことのない研究etc…。そういったものは茨の道を己の力で開墾していくようなものです。誰も正解を知らないのですから。そういった状況に置かれた際に道しるべとなるのが、膨大な失敗体験なのです。『失敗したからこのルートAは駄目。じゃあルートBは?駄目。ルートCも駄目。そういえばルートAに抜け道があったかもしれない、そこが正解なのかも?…』というようなことを延々と繰り返しながら、最後に残ったしょぼいゴマ粒のような金塊こそが成功体験なのです。成功体験は所詮、膨大なルートのうちの一つに過ぎません。そしてその他の失敗ルートはあまり語られることが無いことも…全てを知ることができるのは当然ながら全てのルートを試した人だけなのです。

リスクは小さいうちに…

「損して得とれ」ということわざがあります。「肉斬らせて骨を断つ」にも似ているのですが、要するに多少のリスクを被ってでも最終的には利益を得ようという姿勢のことです。コスパという観点で見ると、この姿勢はコスパが悪いです。わざわざ損するやり方を選んでいるのですから。それでも、失敗するやり方を知っているのと知っていない、やったことあるのとやったことないの差はものすごく大きいと考えています。失敗するやり方を知っている人だけが、その失敗するやり方をしないという選択ができるからです。そして次からはその選択をしなくて済むので、結果的に成功率がどんどん上がっていきます。理屈が分かっているので、何をすれば上手くいくのかと同時に何をすれば失敗するのかが手に取るように分かるのですね。

一方でコスパばかりを追い求めるとこれに気付くことができなくなります。上手くいく"手法"までは分かっても、"理屈"までは分からないからです。理屈が分かっていないと、ちょっと環境や状況が変わっただけで足下を掬われます。でも、何故自分が足下を掬われているのか理解することができません。そして知らぬ間に沼にハマる羽目に…これはとても恐ろしいことです。気が付いた時にはもう後戻りできない状況に陥っているのですから。

そうならないためにも、始めのうちは多少のリスクを背負うことをオススメしたいと思います。やり始めならば、多少損しても引き返すことができるからです。そうして細々と失敗と成功を繰り返し繰り返し続けていき、ふと後ろを振り返ってみると、自分が相当な距離を歩いてきたことに気付くはずです。これが成功体験なのです。コスパのいいものというのは、所詮他人が歩いた道を辿っているに過ぎません。それでは他人のおこぼれに与ることしかできません。だからこそ、本当に成功したいのであれば自分の道を自分自身で切り開くしか無いのです。

今回は偉そうな事をつらつらと書きましたが、「ググればええやん。勉強なんて意味ない。」みたいな意見があったので少しばかり反論してみました。