周りの援助と全能感
こんにちは。
最近仕事が忙しくて死にそうです。大人になってふと思うのは、周りも必死なので中々助けてくれないということなのですよね。猫の手も借りたい所だが、自分のケツは自分で拭かなければいけない。
そんな大人の辛さを噛みしめながらブログを書いていきたいと思います。
目次
Help!
今日、Beatlesの「Help!」の歌詞を和訳していた際にこんなことを考えていました。
ブログでBeatlesの「Help!」について書いていて思ったのだけど、若い時ってなんだかんだで周りが助けてくれるしチヤホヤしてくれるから何とかなってるだけなんだよね。
— ガリレオおじさんの愉快な日記 (@Galileoojisan) 2020年3月18日
その後ろ盾が無くなった時に自分の本当の真価が問われるのかも。
昔若かりし頃、周りに大人達がたくさんいました。その人達は自分へ特にメリットが無いのにヨイショしてくれたりしていました。「君はまだ学生だから〜」「まだ若いから〜」と失敗してもお咎め無し。正直ヌルゲーです。特に自分が何もしてなくても、口を開けていれば餌をくれるのですから。
まさにBeatlesの「Help!」の歌詞にあるように、若い頃は「助けて!」なんて感情は湧いてこないのです。ぼーっとしててもなんとかなってしまうから。
中二病だったあの頃
そんな環境にいると、まるで自分は全知全能の神のような錯覚をしてしまうことがあります。そう、誰もが一度は通る"中二病"というやつです。かくいう僕自身もその1人でした。
「俺はこいつらとは違う」
「俺はすごいんだ。否定する奴はバカ。」
と今考えるととても恥ずかしい思想の持ち主でした。実際は周りに助けられていたから何とかなっていただけのクソガキなのに、なまじ周りに何とかしてもらってその場を凌げてしまうものだから勘違いしてしまうのです。本当の自分は1人では何もできないちっぽけな存在なのに…恐らくそんな本当の自分とのギャップを埋めたいがために、こんな恥ずかしい思想を抱いてしまうのでしょう。
でもそれはある意味自然な成り行きなのかもしれません。周りの助けに感謝できるようになるには、実際に自分が助ける立場になってみないと分からないものですから。やったことのないことには中々気付けないものなのです。
大人になり、絶望を感じる
そんな若かりし頃が過ぎ、いよいよ大人として独り立ちする時がやって来ます。そこで初めて気付くことがあります。
俺って何もできないじゃん…
自分の手でお金を稼ぎ、自分の手で生活をするようになると、これまでの自分がいかに大人達の助けの上に成り立っていたのかを実感するようになります。そして自分だけでは大したことができないことも…
しかしもう周りに助けてくれる人はいません。残念ながら、大人は自分の手で自分の道を切り開いていくしかないのです。そうした残酷な現実を噛みしめながらも、そこから逃げずに立ち向かっていく。これが大人の世界なのです。
いい歳してこんなこともできないの?
もっと恐ろしいことがあります。それは、いい歳こいて何もできない奴になってしまうことです。
若い頃は周りからチヤホヤされるので、失敗しても特にダメージは無いでしょう。しかし、歳を取ると大目に見てくれることがありません。同じように歳を重ね、自分を磨き上げて来た人と比較されてしまうからです。そしてその差は歳を重ねれば重ねるほど開いていきます。
残酷な話ですが、何もしてこなかったツケというのは大人になればなるほど効いてくるのです。そして、その事実にいつまでもいつまでも気付けないでいると、延々と何もできないままになってしまうのです。