Dear John
最近洋楽の翻訳をしてると、見慣れない表現が出てくることがあります。今日はそんな翻訳してて楽しかったことのお話です。
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翻訳してて一番楽しかった曲
僕が翻訳した中で、一番楽しかったのはこのSkeeter Davisの『A Dear John Letter』という曲です。
この曲を翻訳する前、僕はこの曲を聴きながら『陽気でええ曲やなあ〜』と呑気に思っていたのですね。
しかし、いざ翻訳してみるとあらビックリ。
とんでもない内容だったのです笑
I was overseas in battle when the postman came to me
出兵していたある日のこと、配達員が君からの手紙を運んで来てくれた。
He handed me a letter and I was just as happy as I could be
手紙を受け取った時、僕はとても嬉しかったよ。
Cause the fighting was all over and the battles have all been won
至るところで戦って、全てに勝ち続けているからさ
But then I opened up the letter and that started dear John
でも、僕が手紙を開けた時、僕の目に飛び込んできたのは"Dear John"の文字だったんだ…
Won't you please send back my picture my husband wants it now
『親愛なる〇〇様。私の夫が私の写真を欲しがっているので、送っていただけませんか?
When I tell you who I'm wedding you won't care dear anyhow
私が誰と結婚するにしても、貴方はお気になさらないでください。
And it hurts me so to tell ye that my love for you has gone
But tonight I wed your brother dear John私の愛が無くなってしまったことを伝えるのはとても心苦しいですが、私は貴方のご兄弟と結婚することにしました。』
翻訳しながら、思わず「ウワー」という声が出てしまいました笑
Dear Johnって、三行半の枕詞だったのですね。調べながらそういう意味だったんだなと、考えながら翻訳するのが結構楽しかったです。
まだまだ知らない世界がある
英語といっても、ビジネスで使うものって本当にごく限られていて、しかも実用的なものしかないのですよね。
だから"Dear John"なんて言葉は多分絶対に使わないだろうし、知ることも無かったと思います。
だからこそ、洋楽の翻訳って色々な語彙を学ぶチャンスなのかもと感じております。特に昔の曲なんかだと、言い回しが今と違っていたりと面白いです。
そんな訳で、今日は翻訳の楽しさについて語ってみました。
それいけ!ラーメンショップ 3店目 幸手 金田亭
"ラーメンショップ"Twitterのトレンド入りおめでとうございます!
そんな訳で、それいけ!ラーメンショップ3店目は 幸手 金田亭です。
毎回思うのだが徒歩だと時間掛かる
そんな訳でこの日は埼玉県の幸手市にやってまいりました。最寄りの駅は、東武線の幸手駅です。
毎回思うのですが、ラーメンショップって駅から結構遠いんですよね。ロードサイドにある店だから当たり前なのですが、徒歩勢としては中々ツライ。まあ、徒歩でラーメンショップに行くのもアホなんですがね笑
※ちなみにこの日はコロナで外出自粛が出る前に行きました。
豚トロチャーシューが気になるが…
ここのラーメンショップは珍しく食券制です。そしてめちゃくちゃ気になるのが一番右の豚トロチャーシュー麺。これはここのオリジナルメニューですね。
「くそー!めっちゃ食いたい!食いたい!」
そんな昂る欲求を抑えつつ、ここは当初の通りネギラーメンの単品を頼みます。
甘めスープと硬めの麺
という訳で早速ネギラーメンを注文。ここのネギラーメンは海苔とワカメとチャーシューのほかにメンマも入っています。これまでの中で一番ボリュームがあるかも…
そして実食。まずはスープを一口。ん!ほんのり甘い…?ラーショはややジャンキーでしょっぱめな味がするのが普通なのですが、ここのスープは甘みを感じる上品な仕上がりとなっています。そして麺は硬め!硬い麺は僕好みですねー。特にこってりしたスープに硬い麺は良く絡みますので。
チャーシューがバチクソに美味い
そしてそして、なんと言ってもチャーシューがめちゃくちゃ美味いんですよ!口の中に含むとホロっと肉が崩れてとろけるのですよね。こういうチャーシューってどうやって作っているのでしょうか?家で作ろうとしてもガチガチに固まってしまうのですよね…
くそー!こんな美味いチャーシューが出て来るならますます豚トロチャーシューが気になってしまうではないか!
バランスの取れた味
ここのネギラーメンは全体的に油、味の濃さのバランスが良く、完成度が高いように思いました。ジャンキーさを求める方にはちょっと物足りないかもしれませんが、普通に美味しいラーメンを食べたい方は是非。
そんな訳で、ネギラーメン以外のメニューを惜しみつつ店を後にしました。
ごちそうさまでした!
スープの濃さ
★★☆
ネギの濃さ
★★☆
油の量
★★☆
麺の固さ
★★★
サイレント昼
昼休みくらいゆっくり考え事したい。
すみません。下らないギャグを思い付いてしまったのですが、仕事の時の昼休みって貴重だよなあと思っています。
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ぼっち飯がしたい
ぼっち飯という言葉が世の中に存在します。言葉のとおり、1人で飯を食うという意味です。そして、僕は昼飯はぼっち飯したい派です。1人で食いながら、午前中にわちゃわちゃしていたものを一旦整理して、午後に繋げたいからです。仕事中は私語をあんまりしたくないんですよね。集中力がそこで途切れてしまうから。
まあ正直誰かと飯を食おうが、1人で食おうがどっちでもいいじゃんというのが僕の考えなんですけどね。人によって好みは違うのだから、好きな人と食えばいいし1人で食ってもいい。
そもそもなんでこんな言葉があるかというと、1人で飯を食っているとまるで友達がいないかのように見えるとか、友達が居ないと思われるのが不安という謎の文化があるからなんです。ぶっちゃけそんなの気にしない方がいいと思っています。飯食わないと人は死ぬので、そんな事をいちいち気にするだけ時間の無駄です。好きなように食いましょう。
一方で、僕は飲み会肯定派です。仕事終わった後は自分の時間に当ててもいいですが、誘われたら行くようにしています。仕事終わりなので、そこでベラベラあーだこーだ話したい。仕事中に私語を控えている分、盛り上がりたいのですよね。そんな風にしてバランスを取りたいのです(と言っても行きたくない飲み会や予定が空いていない時はやんわりと断るようにしていますが…)。
サイレント昼
飯を食った後も本を読んだり、ニュースサイトを眺めたりと出来るだけ1人でいたいです。昼休みくらいはスイッチオフにして、充電時間が欲しいと思っています。
こうして頭の中をすっきりさせた方が、一日中全力でやるよりモチベーションが持続できる気がしています。あくまで僕個人の話ですが…。
コミュ障?
こう言うと、「コミュ障じゃん笑」と思われる方がいるかもしれません。実際、「あんま喋らないね」と言われることがあります。そうだと思います。実際あんまりベラベラ喋るのは好きではないので…。うっかり変なことを話して地雷踏むのも嫌ですし。
四六時中喋り倒すと疲れてしまうので、飲み会やイベントの時は話すようにしています。酒が入った時の方が色々話せて楽しいですからね。
多分、よく絡まれるからかも
ここまで書いていて、僕はよく人に絡まれるのを思い出しました。仕事中も然りですが、プライベートでもよく絡まれます。その度に会話をしなくてはいけないので、多分面倒くさくなってるのかもしれません。
「今話しかけてくんじゃねー!」と心の中で思っていると、自然と自分から話しかけていかなくなってしまうのです。もちろん、主体的に動かなければいけない時は自分から話しかける必要があるので、そこのバランス感覚が大事ですね。と言っても、未だにその感覚を掴めていませんが…
ともあれ、自分から積極的に発信していくことも大事ですが、サイレント時間を設けることで、上手く気持ちのバランスを取りたいと思った今日この頃です。
OKY〜現場の嘆き〜
今日は僕が仕事で感じた苛立ちをぶちまけていきたいと思います。
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OKYとは?
皆さんはOKYという言葉をご存知でしょうか?
ちょっとかっこいい意識高い風の言葉?WHOのような何かの機関名?いえいえとんでもない!OKYとはこんな意味でございます。
「OKY」とは、「O(おまえが)K(ここへ来て)Y(やってみろ)」の略で、企業の海外駐在員たちの間で一種の隠語として使われている言葉です。現地の事情を知らずに、日本から無理な指示や要求ばかり送ってくる上司の無理解や、現地側と本社側との意識のギャップを象徴しています。
※下記サイト様より引用
「OKY」とは? - 『日本の人事部』
そう、"OKY"とは"お前が来てやってみろ"の略。"OKY"とは我ら現場担当者の怒りと嘆きの代名詞なのであります!(といっても僕は海外在住でなく、あくまで海外担当者ですが…)
なんだこいつら!?
そもそも何故こんな感情が湧いてくるのでしょうか?それは、海外サイドと日本サイドの深い溝が理由にあるのでした…
まず、当たり前の話なのですが海外では日本の常識が通用しません。平気で予定をドタキャンすることもあれば、よく分からない理由で突然キレだしたりとか日常茶飯事です。特に、みんな大好き日本の忖度文化なんてものはありませんから、本当に気分だけで人の良し悪しを決めつけてきたりします。
特にアジア系の人達のセンスはすごいです。「こいつ、出来るやつ!俺、コイツ信じる!」みたいに一度実績を出すと"信者化"します。逆に言うと、一つでも実績を出せないと「こいつ、使えないやつ…俺、コイツの話聞かない…」ってガチ目の不満感を露骨に繰り出してきます。同じ会社のメンバーですよ?日本だといくら嫌いな社員だったとしても忖度で流してくれますが、海外ではそれは通用しません。成果を出せないとマジで信用を失います。まさに、なんだコイツら⁉︎というカルチャーショックを受けます。
事件は会議室で起きてるんじゃない!
こんな調子ですから、日本サイドと海外の現場の温度差は酷いです。恐らくこれはどの職場でも当てはまることだと思います。日本から出たことがない、もしくは旅行レベルでしか海外に行ったことがない人達は日本の価値観でしか物事を判断できないので、海外の現場のリアルな声に耳を傾けられないのです。なんだかんだいって日本は優しい人が多いですからね。
でも、僕は声を大にして言いたい「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」と。
現場を知らないと机上の空論、もっと酷いと勝手な妄想でしか語れなくなります。
意識高い系は海外では信用を失う
特に若い人達に多いのですが、やたらと海外での仕事を経験した感想を聞いてきます。海外で仕事してるのに憧れているのか知りませんが、正直言うと、クソうざいっす!机上の空論より目の前の仕事をしてくだせえ。てかそんなこと言ってる暇があったら自分でそのビジネスに飛び込め!
リアルな話をしますと、海外の現場担当者からもこういう人達はことごとく嫌われております。
「アイツは仕事もしないで、ただ観光しにきたヤツ」ってね。
海外に憧れるただの意識高い系はこの現実を一度知った方がいいです。一度、海外の現場に揉まれた方がいいですよ。日本は何となくで済みますが、海外では通用しません。目の前の人達に真摯に向き合わないと簡単に信用を失います。
日本dis海外推ししてる奴は大体ニワカ
かようにして海外現場は苛烈な世界ですので、日本に引きこもって「日本はここがダメ!海外は〜」という語り口調の奴らの言うことはあまり信用していません。そもそもテメーは海外の何を知っとるじゃ!という感想しか出てきません。まずは海外のリアルに飛びこんで下さい。きっと色々と考え直すと思います…
OKY(お前がここに来てやってみろ!)の真実はこんなところだと思います。
以上、現場からの中継でした!
それいけ!ラーメンショップ 2店目 花輪店
今日のラーメンショップは花輪店です。
船場競馬場に降り立つ
そもそもどこ?と思われるかもしれませんが、千葉県の船橋競馬場の近くにあるみたいです。そんな訳で、京成電鉄の船橋競馬場駅に降り立ちました!
さて、こちらが店の外観です。高架上にあるので若干迷子になったのは秘密…
こちらがメニューです。
ここのお店はメニューが充実しており、醤油・しお、味噌など様々な味が選べるみたいです。
セットメニューに少しばかりつられそうになりましたが、ここは初志貫徹ということでネギラーメンの単品を注文しました!
コスパばかり重視してるとジリ貧になる
最近ネットを見渡してみると、やたらと"勉強はコスパ悪い"だの"教育を損切り"だのの言葉が並ぶのを見かけます。このことについて思うところがあったので、今日はこの"コスパ"をテーマに考えていきたいと思います。
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そもそもコスパって何?
"コスパ"は"コストパフォーマンスが"の略ですが、そもそも"コスパがいいもの"ってなんでしょうか?僕の中の定義はこうです。
コスパがいいもの=捧げたもの・時間に対してよりいい結果が返ってくるもの。
文字にしてみると当たり前の話なのですが、本質はこうでしょう。
本題に入りましょう。今回僕は、コスパばかり重視してるとジリ貧になるよということを申し上げたいです。確かにコスパのいいものを常に選択していけば、一定の成果は出ます。一見合理的で要領のいい生き方のように思えますね。それでも僕はそのやり方ではそのうち上手くいかなくなるよということを言いたいのです。
コスパがいいもの=誰でも真似しやすい
まず、コスパがいいものというものは誰でも真似しやすいという傾向があります。誰もができるようなものでなければそれほど話題になりませんしね。この、誰でもできるというのが結構重要で、例えばマニュアルや手順書なんかはまさにその典型ですね。マニュアルや手順書があれば、自分がやっていた作業を誰かにお願いしやすくなりますし、誰でも成果を出すことが可能になります。そして自分のやっていたことを誰かにお願いすることができれば、別の作業に取り組む事ができるようになるので、最終的に利益を最大化できるようになります。まさにコスパ最強です。
ただこうして見ると、コスパがいいものって真似されやすい=ライバルが多いんですよね。始めのうちはプレイヤーが少ないのでいいのですが、そのうちわっとプレイヤーが増えるようになります。そればかりかより洗練された手法を繰り出してくるようになり、こうなってしまうと最早立ち行かなくなってしまいます。コスパがいいものというのはこのように、泥沼の激戦区になる可能性を孕んでいるのです。
失敗体験はあまり真面目に聞いてくれない
じゃあコスパの悪いものって、何?ということを考えてみましょう。一番シンプルなのは失敗するやり方でしょう。損しているのですから、コスパで言ったら最悪でしょう。だから人は成功するやり方をありがたがるのです。
仕事をしていると特に感じるのですが、成功体験はすごくウケがいいです。話すだけで「これをやれば俺でも・私でもできる!」と思わせることができます。しかもそこにちょっとしたエピソードを加えるだけで、なんだかワクワクするような空気感を醸し出すこともできます。それだけ成功体験にはエネルギーがあると思っています。
一方で、失敗体験は笑いのタネにはなっても真面目に聞いてくれる人はあまりいません。何故か?先ほども申し上げた通り、失敗体験はまさしく"コスパが悪い"からです。失敗するやり方をわざわざ実践してみるという人は中々の酔狂ですからね。そんなものをわざわざ聞くくらいなら上手くいくやり方を実践するのが賢いやり方です。
しかし、しかしですよ?上手くいくやり方だけ実践してればいいのか?僕はこういった姿勢には少し疑問を感じます。何故ならばそういった成功体験、法則は膨大な失敗の上に成り立っていることが多いからです。
失敗をゴミとみなすか試金石とするか
僕が研究室にいた時のお話をしましょう。当時僕は2人の後輩がいました。どちらも取り組んでいるテーマとしては似たようなものだったので、フォローをすればどちらの子もある程度の結果は出せるだろうと踏んでいました。
しかしその期待は裏切られます。片方の子はどんどん結果を出すのであまり手が掛からなかったのですが、もう片方の子は全く結果が出ないが故にかなりのフォローが必要な状態になってしまいました。僕はかなり悩みました。同じように教えているはずなのに、何故こうも差がでてしまうのか?そうして2人を見つめるうちにあることに気付きました。
上手くいかないのってただガチャ回してるだけじゃね?
これは僕がソシャゲのガチャを回しながら閃いたことです。そうです、激レアが出ないが故に延々とガチャを回し続け、お金をジャブジャブ溶かし続ける状況に似ているのです。所謂沼にハマっているのです。そして上手くいかない人は同じやり方に固執する傾向があることにも気付きました。
何故同じやり方を続けるだけでは上手くいかないのか?それは、そういった人は別の方法はないのか?と立ち止まることをしないからです。失敗はただのゴミ。反省を全くしないのです。これでは最早、思考停止の運否天賦のようなものです。ただの神頼み。しかし残念ながら神様はそんな人に救いの手を差し伸べてくれることはありません。神様は己の行いを反芻し、前に進もうとする意思のある者にしか微笑まないからです。
失敗をただのゴミとみなすか、次に進むための試金石とするかは個人次第です。しかし、少なくとも僕が見てきた限りでは失敗を軽視している人ほど成功していないように思っています。失敗は成功の母とよく言われますが、僕はまさしくこの通りだと考えています。失敗は失敗なのではなく、成功しないルートを見つけた!という気付きなのです。そして、その気付きに気付けるかどうか?ということがとても重要なことなのだと思います。
失敗は自分だけのもの
さて、話をコスパに戻しましょう。僕は失敗を試金石にすることが成功への道に繋がることをお話しました。そして失敗はコスパが悪い選択だということも…それでもその失敗が重要だと考えているのは、失敗体験は自分にしか理解できないものだからです。他山の石、他山の石とよく言われますが、所詮他人の失敗というものは他人事でしかないのです。実際に痛みを伴わないものはリアリティがないので、本当にその人の失敗体験を理解することはできません。だからこそ、自分が失敗した体験というものが重要なのです。
これは特に誰もやったことのない領域に踏み込めば踏み込むほど実感するはずです。誰もやったことのないビジネス、誰もやったことのない研究etc…。そういったものは茨の道を己の力で開墾していくようなものです。誰も正解を知らないのですから。そういった状況に置かれた際に道しるべとなるのが、膨大な失敗体験なのです。『失敗したからこのルートAは駄目。じゃあルートBは?駄目。ルートCも駄目。そういえばルートAに抜け道があったかもしれない、そこが正解なのかも?…』というようなことを延々と繰り返しながら、最後に残ったしょぼいゴマ粒のような金塊こそが成功体験なのです。成功体験は所詮、膨大なルートのうちの一つに過ぎません。そしてその他の失敗ルートはあまり語られることが無いことも…全てを知ることができるのは当然ながら全てのルートを試した人だけなのです。
リスクは小さいうちに…
「損して得とれ」ということわざがあります。「肉斬らせて骨を断つ」にも似ているのですが、要するに多少のリスクを被ってでも最終的には利益を得ようという姿勢のことです。コスパという観点で見ると、この姿勢はコスパが悪いです。わざわざ損するやり方を選んでいるのですから。それでも、失敗するやり方を知っているのと知っていない、やったことあるのとやったことないの差はものすごく大きいと考えています。失敗するやり方を知っている人だけが、その失敗するやり方をしないという選択ができるからです。そして次からはその選択をしなくて済むので、結果的に成功率がどんどん上がっていきます。理屈が分かっているので、何をすれば上手くいくのかと同時に何をすれば失敗するのかが手に取るように分かるのですね。
一方でコスパばかりを追い求めるとこれに気付くことができなくなります。上手くいく"手法"までは分かっても、"理屈"までは分からないからです。理屈が分かっていないと、ちょっと環境や状況が変わっただけで足下を掬われます。でも、何故自分が足下を掬われているのか理解することができません。そして知らぬ間に沼にハマる羽目に…これはとても恐ろしいことです。気が付いた時にはもう後戻りできない状況に陥っているのですから。
そうならないためにも、始めのうちは多少のリスクを背負うことをオススメしたいと思います。やり始めならば、多少損しても引き返すことができるからです。そうして細々と失敗と成功を繰り返し繰り返し続けていき、ふと後ろを振り返ってみると、自分が相当な距離を歩いてきたことに気付くはずです。これが成功体験なのです。コスパのいいものというのは、所詮他人が歩いた道を辿っているに過ぎません。それでは他人のおこぼれに与ることしかできません。だからこそ、本当に成功したいのであれば自分の道を自分自身で切り開くしか無いのです。
今回は偉そうな事をつらつらと書きましたが、「ググればええやん。勉強なんて意味ない。」みたいな意見があったので少しばかり反論してみました。
しょぼい電子工作日記 #1 RaspberryPi、起動
プログラミングの勉強やった方がいいのかな?と思いつつ、かといってメラメラと燃える意思もなく惰性の限りを尽くす毎日です。
何というか、"プログラミングガチで勉強してのし上がるぞ!"みたいな野望が無いからイマイチ本気になれません。やっぱり何かしらのモチベーションが無いと勉強する気になれないのですよね。でもやっぱり勉強した方がいいのかなという悶々とした葛藤…多分日記とか付けないと続かないのかも。
そんな訳で、今日から電子工作をダシにしてプログラミングを勉強してみる"しょぼい電子工作日記"を付けていきたいと思います。
しょぼい電子工作
何でこんなものをやろうと思ったかというと、やっぱり自分はハード系の人間なので機械いじりをしていないと飽きてしまうのですよね。絶望的にデスクワークが苦手なんです。多分、一日中PCに張り付くのは無理。だからプログラミングを学ぶにしても、機械をいじりながらやれたらいいなあということで、電子工作を交えながらやろうと思った次第です。
でも、ガチらない。ガチると長続きしないんですよね。だから、少しづつ日記をつけながらやってみたいと思います。
まずはブルーバックスのこの本を読みながら、電子工作をやってみたいと思います。正直、Lチカをやってみたレベルのガチ初心者です(しかもやり方忘れた)。なので、それなりのレベルになるには結構なハードルになりそう…でも頑張りたいです。